神戸地裁が2月20日に、明石市の歩道橋事故について強制起訴されていた元明石署副署長に免訴判決を言い渡しました。
「免訴」というのは、刑事裁判で公訴権の消滅を理由に(有罪・無罪の判断をせずに)裁判を打ち切ること、あるいはその旨の判決を言い渡すことで、刑事訴訟法第337条によれば、(公訴)時効が完成したときには、判決で免訴の言渡をしなければならないこととなっています。
また、検察審査会法の改正によって実現した「強制起訴」は、検察が起訴できないと判断した事件について、検察審査会が「起訴を相当とする議決」を行い、さらに「起訴をすべき旨の議決」(起訴議決)をすれば、強制的に起訴されて裁判所で公判が行われることになるもので、弁護士が検察官の職務を行う指定弁護士として公訴を提起して公判を担当することになります。
事件の発覚後、警察や検察における捜査等、検察審査会における審査、起訴相当議決、さらに起訴議決を経て起訴(公訴)されるまでの間には、事件によっては長期間を要することもあり、このような経過を経た上で行われることとなる強制起訴の事件についても、通常の起訴事件と同じく、公訴時効が完成しているとして免訴の適用があることについては、罪の種類によっては公訴時効の期間がそれほど長くないものがあることを考えると、制度論としては若干疑問がないわけではないでしょうが、現行法上はやむを得ないところでしょう。なお、本件で公訴時効が完成していたかどうかは、控訴審で再び争われることになると思います。一般論としては、警察・検察での捜査等や検察審査会での審査を一層速やかに進めてもらう必要があるということになりそうです。
さらに、報道の内容によると、今回の判決は事実上の無罪判決のようであり、小沢一郎氏が強制起訴をされた事件でも無罪判決が確定しているため、今回の一件で改めて「強制起訴」制度の存在意義や有効性が疑問視されているところがあるようです。ただ、裁判員制度も強制起訴も刑事事件の司法制度に一定の市民感覚を反映させるという点では同じく一定の意義があるものと思われ、強制起訴制度の存在意義自体を疑問視するのは早すぎるのではないでしょうか(若干の制度改正については検討の必要性があるかもしれません。)。なお、2月8日には、検察が起訴猶予としていた暴行事件について強制起訴されていた徳島地裁の裁判で、強制起訴事件としては初の有罪判決が言い渡されたそうです。
今回の判決は、強制起訴の制度について考えさせられるものでした。